終末期リハの質を左右するもの。アドバンス・ケア・プランニング。
こんにちは。
理学療法士のゆろです。
皆さんは自分の、あるいは身内の死期が見えたとき、
リハビリテーションと言われてどんなことを思いますか?
もしかしたら、
「今更できることなんて…」
「なんの意味があるんだ…」と、
思う方もいらっしゃるかもしれません。
結論、ここで私が言いたいこと...
リハビリが意味を成すのは
「死ぬまでどう在りたいか」が明確にされているときです。
そして、
「最期の迎え方、迎えるまでの在り方」を決める過程が
アドバンス・ケア・プランニングであり、
その内容と質が伴ったときこそ、
意味のあるリハビリ、ケアが提供できるのです。
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)について
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)とは
終末期を含めた今後の治療や療養、生活環境などについて、
本人と関係者が前もって話し合い、
意思決定を支援するためのプロセスのことです。
関係者:家族、親族、親しい人、医療関係者、ケアに関わるスタッフ、etc
ちなみに…
厚生労働省は、2018年11月30日
より馴染みやすい言葉として「人生会議」という愛称を付けました。
11月30日は「人生会議の日」とされています。
ACPのポイント
☑ 「意思決定能力が低下する前から」「予め」行うこと。
☑ 患者さん本人が主体となること。
☑ 患者さんの状態、家族の想いにあわせて 内容が変化しうる。
例えば、
「胃ろうや人工呼吸器などの延命処置を受けるか?」
「病院か、在宅か、どこで最期を迎えたいか?」
このような問いに答えなければならないとき、
患者さんの認知機能は著しく低下しているケースが多く、
関係者は患者さんの意思を把握することが叶わなくなります。
だからこそ…
比較的元気で判断能力が伴ったときから、
前述した問いなどの答えを用意しておく必要があります。
そして重要なポイントが、
一度話し合った内容が覆る可能性があることです。
むしろ自然なことです。
例えば…
はじめは、「食べれなくなったら胃ろうも点滴も、何もしなくていい」
⇒ いつからか「やっぱり点滴はしてほしい…」 など。
つまり…
ACPにおける話し合いは、適宜行われる必要があります。
理想のACP
前述したポイントを抑えていることがまず前提となります。
そして、主治医がACPの概念を理解して、
率先して話し合いの場を設けてくれることが望ましいと思います。
動き出しは関係者だれでもOKなのですが、
原則、病状説明は医師の義務ですし、
医師が行った説明以上の展開を他のメディカルスタッフが進めるのは、
トラブルの原因になりかねません。
病状説明も不十分な医師は正直、臨床にも存在します。
※あくまで個人の所感です。
そんな時、臨床では(医師を除く)多職種が裏で動き、
医師に対し、少なくとも病状説明を
患者さんとその家族に行ってもらうよう仕向けていたりします。
( ……炎上覚悟 )
あわよくばそのままACPの話し合いにまでこぎ付けたいところです。
これは結構あるあるかと思っています。
※あくまで個人の所感です。実際よくそんな根回しを看護師やソーシャルワーカーとしてます。
理想的なACP(人生会議)が展開できる参考書はこちら ↓
コミュニケーションの取り方、説明から会議の実例も記載されています。
残念な臨床あるある
メディカルスタッフによる方針の決め付け
「家族の介護が大変になるからもう自宅に退院するのは無理でしょ?」
「もう抗がん剤は終わりでいいだろう」
「点滴追加しますね(←意向を確認せずいつまでも点滴を続ける)」
治療する側の考えを一方的に押し付けてはいけません。
決めるのは医師でも、他のメディカルスタッフでもなく、
主体はあくまで患者さんです!
病状説明(予後も含め)の上で、
なおかつ、
多面的な手段、他の選択肢を提示した上で、
本人、家族と話し合うべきです。
DNARをとったきり…
DNARとは…Do Not Attempt Resuscitation の略。
患者さん本人または家族など代理者の意思決定をうけて、
心肺停止状態になった際に心肺蘇生法をおこなわないこと。
臨床では「家族からDNAR確認すみ」といった感じで
カルテに書かれていることがあります。
… で、それっきりのケースも。
看取りを決め付けている感じもありますし、
「ACPはプロセスであり、何度も繰り返される」という
認識が不足していることが原因です。
「患者さんが望んでいることは何か?」
「したいことはないのか?」
「家族がやってあげたいことはないのか?」
そんな視点をもってACPをいくらでも展開していきたいところです。
疼痛コントロールして退院できてよかったですね…?
終末期がん患者さんなど身体的苦痛を取り除くことは大切なケアです。
しかし、それだけを行って退院できる状態になればOK…
みたいな方針だけでは不十分です!
疼痛コントロールをはじめとした「緩和ケアが必要になった」時点で、
患者さんには大きな変化が起きているわけです。
その時こそ、ACPを行うタイミングです!!
「これからは○○○といった経過になることが想定されます。」
「○○〇の状態になったときどこまで治療を望みますか?」
「例えば、ご飯を口で食べれなくなったら胃ろうや点滴といった手段があります」
「在宅でも診療体制を整えられますよ」
「過去にはこんな選択をされた方もいましたよ」
などなど、
選択肢や情報を提供しつつACPを始めましょう、継続しましょう。
ACPの質が終末期リハビリの質を左右する
ACPが成されているほどリハ職がやるべきことは明確
リハビリの根本は「その人らしさ」をサポートするための手段です。
ゆえに、人生の最期に直面している…そんな時期でも、
私たちリハビリ職だから関われることも多くあります。
しかし、
☑ その人がどう在りたいのか
☑ 最期を迎えるまでどんな過ごし方を望んでいるのか
☑ 死を前にして何を想うのか
それらが患者さん本人と関係者で共有されていないことには、
目的が定まらない訳ですから、
最悪、「起きてお散歩でも行きましょうか?」のような、
とりあえず感の対応しかできなくなるわけです…
ゆえに、
ACPをしっかり行うことが終末期リハビリの質に大きく影響します。
例えば、
「せめて最期まで口から食べたい」…そんなときは、
口腔の保清をサポートしたり、
食欲促進目的に一緒にできる運動を行ったり…
「死ぬ前に家でやり残した○○をしたい」…そんなときは、
少なくとも外出できるように家屋に合わせた動作訓練や環境調整をしたり…
そして、
前述した通り、患者さんとその家族の想いは変化していくものなので、
その都度、話し合いに参加して、
リハビリとして専門的にサポートをしていくことが、
終末期リハビリの醍醐味でもあり、絶対的役割なのだと思います。
臨床の思い出①~教育者として~
某専門学校の校長先生をされていた方。
肝臓がんの末期で余命1か月も持たない状態でした。
歩くことも出来ず、食事も摂れなくなり全身状態は日々衰弱…
3月、卒業式シーズン…
「もう長くないのは分かっている。卒業式にだけは出席してお祝いを言いたい」
この方の望みは「教育者として在り続けること」でした。
卒業式開催のホテルの一室を休憩室として確保し、
瘦せ細った青白い顔をコスメで隠し、
少しでも長く乗っていられる車椅子を検討、調達し、
看護師と一緒に会場に付き添い、移乗をサポート。
短い言葉ではありましたが、校長挨拶をして、
生徒たちから囲まれて写真撮影。
疲れ切って閉会前に病院に戻りましたが、立派に務め切りました。
その10日後に病院で最期を迎えました。
たった一つのイベントでも、
いろんな関係者がこの人を支えていたと感じた一例でした。
臨床の思い出②~遺される家族のために~
私と同世代の1児のパパさん。
根治できないがんを患い、
医者からは少しでも延命につながる可能性のある
化学療法を勧められていました。
でもその方の意志は、
「今から死ぬ自分のためではなく、家族のために少しでもお金を残してあげたい」
「高額な治療は受けず、ギリギリまで仕事を続けたい」
とのことでした。
麻薬を使った緩和ケアが中心となり、
私は疲労出現の程度をモニタリング、
民間の障害者就労支援団体と勤め先の専務に注意点や配慮してほしいことを説明。
最終的に、亡くなる3週間前まで仕事をされていました。
立派なパパさんだと感銘を受け、
少しでも働きやすい環境にしてあげたいと、
民間団体から勤め先まで情報提供に動いた一例でした。
自己満足と反省の狭間で
もう会えない患者さんの満足度はどうだったか…
正直分かりません。
亡くなった担当患者さんを想うと
いつでも頭にあるのは「自己満足」と「反省」です。
私なりに研鑽してアップデートされている(と、信じている)
今なら「こうしてあげられる」なんて思うこともあります。
そしてリハ職なりに終末期の患者さんにとっての存在意義を模索しています。
…ただ、そのときに自分が提供するサービスが、
「自己満足にも浸れないようなもの」であってはいけないと常に思うのです。
今回のオチ
理想や思想だけで臨床うまくいくなら、
苦労しない(涙)
終末期患者でもリハビリ携われますよ!アドバンスケアプランニングしっかりしましょうよ!!…と、
— ゆろ (@yuro0822) 2021年1月25日
主治医に対し
心で叫び
カンファレンスの日取り確認と
リハオーダーの検討を促す体の私です
(;-_-)=3
終末期リハの啓蒙がんばろ。#終末期リハ#アドバンスケアプランニング
気軽に覗いてみてください。